GYROTONICR Master Trainer, GYROKINESISR Pre-Trainer YUKIE YAMAMOTO

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Biography

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「絶対に男の子だと思っていた」と母が言ったぐらい、まんまるで生まれました。その重さ、4000グラム。股関節脱臼、ヘルニア、弱視・・・そんな子どもだったので、小さいころからからだを動かすことは苦手。肥満児を心配した母が習わせたバレエも数年でやめてしまいました。

中学ではバスケット部や陸上部に所属も、大好きなピアノのおけいこが大切で。部活はあっという間にフェードアウト。新設校だった高校では体育施設に恵まれず、からだを動かすことに無関心なまま、大学へ。大学時代も週一回の体育の授業以外、運動とは縁のない日々を過ごしていました。

大学卒業後、スポーツ新聞社に就職。子供のころから「週刊ベースボール」を愛読し、父や兄とテレビで野球を観て育った影響で、プロ野球担当記者になりたいとその会社を選びました。退職後も夕刊娯楽紙で競艇の取材などを経験。自分がからだを動かすことにはまったく興味がなかったのに、なぜか「からだを動かしている人」を追いかけることが好きでした。

フリーライターとして独立。そしてジャイロトニックとの出会い。

20代後半、フリーライターとして独立。飲食店の取材やグラビアアイドルの取材をしながら、「からだを動かしている人」を取材したい!気持ちを止めることができずにいました。もやもやしながら、生まれて初めて行ったスポーツクラブ。ダイエットのためにチャレンジしたエアロビクスにハマりました。

音楽に合わせてからだを動かす。シンプルな「楽しい」が、私を狂ったようにフィットネスクラブに通わせました。そして、そのクラブで開催された「エアロビクススキルアップコース」に勢い余って参加することに。

「インストラクター養成コースに行けば、からだの仕組みやからだのつかいかたを勉強することができるだろうし、そうすればトップアスリートのからだのつかいかたを取材したりすることにつながるかも!」

スキルアップコースを経て、エアロビクスインストラクター養成コースに入校。入校当時、30歳を過ぎていたうえ、それまで満足に運動をしない人生だったので、あっという間に極度の「鉄欠乏性貧血」に。しかも食事やサプリメントでは間に合わず、 頭痛とめまいがひどく、夜もあまり眠れませんでした。お世話になっていたお医者さまには「そこまでしてやる必要があるの?」と言われながら、毎朝、病院で1時間ほど点滴を打ち、レッスンやコースに参加する生活が数ヶ月、続きました。

からだが回復したころ、養成コースを無事、卒業。エアロビクスインストラクターとして活動を始めました。そして数年後、ジャイロトニックに出合いました。

エアロビクスインストラクターを始めて少し経ったころ、気がついたこと。子供のころから運動が大好きでずっと運動をしてきたインストラクター仲間とくらべ、自分の動きが小さい。からだの表現力が乏しい。そんなときに出合ったジャイロトニック。

教えてくださるトレーナーは井上朱実さん。当時、エアロビクスインストラクター仲間のなかでも「独特なからだのつかいかたや単なる筋トレとは違うコンディショニングのクラスをする」と評判でした。

「この人にこれを習ったら、なにか変わるかも!」と思い、さっそくジャイロトニックを受けました。とても気持ちいいし、からだがスッキリする。しかもなんだかとっても楽しい。「上手だねー。トレーナーになったら?」と朱実さんにも言われ、すぐにその気になりました。

トレーナーへの道

1年後、朱実さんのガイドでロサンゼルスへ。ジャイロトニックの創始者であるジュリウ・ホバス氏が自ら指揮するジャイロトニックファウンデーションコースを受講しました。

運動経験がないことがこれほどまでにからだの感覚を鈍らせるとは思いもしませんでした。とにかく、言われていることがわからない。自分自身が動くとき、なにができてなくて、どこを直せばいいのか、がまったくわかりませんでした。しかもティーチャートレーニングコース。先生としてハンズオンなどのガイドの方法も覚えなくてはならないうえに、わからないことにさらに拍車がかかる、英語でのコース。過度のストレスを抱えたコース中盤のある日。「upper body opening」という上半身のエクササイズをしながら、いつの間にか号泣していました。

朱実さんや一緒に受講していた屋宜佐英子ちゃんに慰められ、なんとか無事にコースを終えたものの、帰国してからもどうやって教えていいかまったくわかりませんでした。

「ジャイロトニックを教えるのはやめよう。難しすぎる。なにがなんだかわからない」帰国後すぐにマシンを購入して教え始めたにもかかわらず、教えるたびにそう感じてしまう自分がイヤでした。

そんなときに偶然、出合ったピラティス。きっちりとした解剖学、ひとつひとつ丁寧に意識と準備をしてから動く。解剖学に即して動くということがわたしにとってとてもわかりやすく、なにをやっているのかわからないジャイロトニックとは違う!と思い、すぐに飛びつきました。そして、ピラティストレーナーへ。

ピラティストレーナーになり、教えることが楽しくて、「ジャイロトニックはやめる!」そう思っていました。

でも、ときどきふと思い出していました。なにをやっているかよくわからなかったけど、心地よくてスッキリしたからだとこころになるジャイロトニックを。理屈よりも感覚。動き続けることの楽しさ。そして気がつくと、ジャイロトニックを再開していました。

再開して、改めて感じたこと。無心に動く楽しさやそのあとに感じる解放感や心地よさ。「パーフェクトじゃなくていいんだ」 「できる、できないより、まずやってみることが大切なんだ」

いろんなことに気がつきました。そして、思ったこと。

「この楽しさ、この心地よさを伝えられるようになりたい!」

一念発起し、ロサンゼルスで受けた「ジャイロトニックファウンデーションコース」を日本語で朱実さんが指揮する際に再受講しました。なんとなく資格を取ったジャイロキネシスもBradley Kreamer氏のファウンデーションコースを再受講。学び直していくうちに、気がつきました。

動くことの楽しさ。そして、自分で動くことで得られる心地よさやからだの変化。ユニークなムーブメントを楽しむことによって気が付くたくさんのメッセージ。

そのころからからだも少しずつ変化してきました。ジャイロキネシスのトレーナー仲間に「からだ、やわらかくなったね」と言われるようになりました。「ダンスや運動の経験がなくても、続けていればからだは変わる!」手応えを感じ、同じような人たちにこの経験がシェアできたら・・・とジャイロトニック、ジャイロキネシスのプレトレーナーになりました。

今でもバレリーナのように柔軟でしなやかなからだとは言い難いですが、運動経験がなかったからこそ体感できたことがたくさんあります。うまくできなくて感じたストレス。なかなかからだで理解できないもどかしさ。言われていることがわからない自分に嫌気がさしたり。いつもそんなことばかりでした。

でも、ジャイロトニックを通じて、「パーフェクトじゃなくていいんだ」と思うようになりました。それよりもっと大切なことは、失敗してもうまくできなくてもストレスを感じて、自分の内側にこもらない。ブロックを作らずいつもオープンな気持ちでいる。それが毎日をhappyに過ごす秘訣だと知りました。

ジャイロトニック、ジャイロキネシスを通じて、心地よいからだとこころでいられるお手伝いができたらと願ってます。そして、ジャイロトニックとジャイロキネシスは難しいものではなく、誰にでもかんたんにできるムーブメントであることをお伝えできたらうれしいです。